プロフィール

1979〜 幼年時代
近所のおじさんの象牙の麻雀牌を庭に撒く。何牌かなくなった模様
1991〜1994 中学時代、ドンじゃらをやる。麻雀のほうが面白いとの話をされるが意味がわからず。またドンじゃらの当たり牌がわかる友達に対し感心する。
1994〜1997 高校時代
物理部と共に麻雀を行う。清一に振り込む。その後一通を上がったが、清一より点数が低いことに激怒する。
その後、麻雀を行うこともなく無縁の学園生活を送る。
演劇部の部室にあった、ノーマーク爆牌党や俺たちジャンキーロードを読んだのはこの頃。
麻雀のルールが何となしくしかわからなかったので、鉄壁が面清を食って三面門で上がるシーンなどは高度すぎて理解できなかった。
1997〜2002 大学時代 あれ?長いぞ
大学の知り合いと共に麻雀を始める。
最初はポンした4枚目の牌をきられたときに加槓(字牌を一なきするとほぼ槓が成立する)ができるなどムチャクチャなルールであった。
その後、井出洋介の東大式麻雀を読むに当たり、麻雀の知識が増えると共に面白さにのめり込んで行くようになる。
当初は、人の家の竹牌で麻雀を行っていたが、その後質屋で、ブラック牌を購入し、自身のアパートで行うようになる。大学の近くと言う立地上定期的に人が訪れるようになる。
マガジンで坊や哲が始まったのもこの頃。
1998未明 フリー体験初期 鴨時代
麻雀の実力がついたとでも勘違いしたのか、フリーで麻雀を打ちに行く。今はなき町田のフリテン君という店、名前的に知っていたのであるがどうも漫画のフリテン君とは一切関係がなかったようだ。当時、点5などレートが色々あると言うことも知らず、赤一枚500円と言う不思議なルールを初体験。ずたぼろにやられる。ダマであがっている人が裏ドラを覗きこんでいるのをみて、「ダマでも裏ドラ見れるんですか?」などとマジ質問をしてしまう。一緒に行ったJPEG氏は更に大負けした。(自分はぶるって降りているのが多く逆になれているJ氏がやられたと思っていたが後日そうではないことが判明←弱かった、失礼防御力が低かった)この頃から、J氏が私に金を貸すようになる。余談だがJ氏への貸付は一時10万以上までのぼり、絶対に返ってこないと思っていたが、現在すべて清算されました。
1999未明 フリー通い詰め期
ハートランドに通い始める。始めは点3を打っていたが後に点5で打つように、桜井章一の店である牌の音があり、雀鬼会がたびたび顔を出すかなりレベルの高い客層であった。麻雀最強選優勝者である佐々木○をはじめ店長であり麻田盃優勝者の大貝博美などまた、ワニ蔵のモデルになった人物など強い人だらけであった。最強はバッシーと呼ばれていた人物。
2002
 第一期風の子時代
大学をやめ、初の麻雀店勤務 町田:風の子 
2003 花梨時代
ノーレート麻雀花梨に勤める。時給1000円につられる。
同 花梨にて社員となる。社員だと寮には入れるため。
この頃の知り合いが、交流として今だ深い。
小田急相模原までわざわざ麻雀を打ちに来てしまうという少し変なところが自分と共感したのかもしれない。
ノーレートと言うことで始めた、花梨であったが、時代と共に0.5が主体となっていく。
そんな中で、大和にジェミニと言うノーレート雀荘ができ敵情視察へ。
レーティングを取り入れ常に自分のランクがわかるシステムに加え、店長の優しい人柄。
ノーレートで山越直撃を食らわされ、「いつもはやらないんですよ、だけどちゃんと打てる人だから今回は我慢してみた」などといわれたのもいい思い出である。
更に、河野さんというめちゃくちゃ天然なこに、あやベーダーしとおおはまり。河野さん出勤日である火曜日には麻雀店で働いた後ダッシュで大和までバイクを飛ばしジェミニ向かうと言うのが恒例のパターンに。もちろん河野さんは事前予約である。も0.5や1のレートでうった後に、ノーレートを打ちさまはある意味美しかった。河野さん帰宅後も閉店時間まで打つわれわれに店長も悪い気はしなかったはずだ。後日、ジェミニ行っった際(1年記念とかのイベントだった)差し入れを持っていこうと言う話になり”つぶれ梅”なるものを持っていったらほんとにつぶれてしまった。
2004  第一期ニート
花梨をやめた後半年以上ニート生活 ヒサトみたいな生活にあこがれる。が無理だと言うことが判明。エキストラの仕事に就くが、話とまるで違い結局給料は支払はられず。
てもみんで働くも勤務2日目ほどで上司と馬が合わず退社、2ヶ月の教育で受けたマッサージ技術だけ持ち帰ることに。
2005 第2風の子時代
風の子(中山店)で寮生活
一部屋に三人と言う底辺の生活を味わう。
スーパーのみの26(2600点)というとおり名を自分でつけていた。
かなり勝っていったが一向に金が増えない。後日店長がチーしていたことが判明。
2005後期〜2006 ニート再来、花梨裏メン、みなみじゅうじお手伝い時代
半年近くニート すな家へ転がり込み、花梨で裏メンなどをやりつつ生活。以外に暮らせた。
見かねたすなさんに、無理やり”みなみじゅうじ”で働かされる。不動産や母体の完全親父雀荘。
2006,7 クランツ時代
 風の子時代からの知り合いであるペンギンさんに誘われ 大宮クランツで働くことに、夜な夜な三麻で勝っていたが、その代金はいつ、中村王子やペンギンさんは払ってくれるのであろうか。あまり長く続けるつもりはなく、家の事情でとかいいながら帰宅。だが、なんと給料未払い分が発生(自分以外給料をもらうものがいなかったため用意できなかった)
2006,9 体が悪くないのに入院、お金が増えました。寝てただけなのに・・・
クランツへ未払い分を回収、
2006 10 インドへ突如旅立つ 解脱?
2006,12 無事会社員となる
2007 ハンゲームの三麻にはまる。行きつけのフリーは、大久保の亜門、池袋のウール50%
2008,4 麻雀はそこそこ、アルテイルのナポレオンにはまる
2008,6 オンラインゲームREDSTONEにはまる 

・・・そして今に至る




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